平凡な毎日ですが、その中でもささやかな事件がたまに起こる?

備忘録的にのんびりと綴っていきます。



2013年6月1日土曜日

悲しいニュース

九州は数日前に梅雨入りし、
今も雨が降り続いております。
5月末に里帰り先の病院へ検診にいきました。
安静にしていたのが功を奏したのか、もともと心配しすぎていたのか、
まずまず順調のようで、そんなに安静にする必要もないのかなという感じ。
病院主催の マタニティヨガにも出て良いとのことなので、ちょっとほっとしました。
そんなわけで、早速今度大学時代のサークルの友達とランチのお約束をしてしまいました。
近くまで来てくれるとのことなので、無理しない程度に行ってまいります。
子供ができたら、年に数回でさえなかなか会えなくなりそうですもんね。

そんなのんきな毎日に、先日、珍しく会社の先輩から電話がありました。
なんだろうと思って折り返すと、
前の会社の上司が高速道路でよたついた大型車両に接触され、車が横転。
亡くなったとのこと・・・。
東京ではニュースにもなっていたようです。
さすがにショックで1日茫然と過ごしました。
再婚したばかりのとても真面目な私たちデザイナーのリーダーで、しきりと力強い笑顔が思い出されました。
実は嫌いだったのですが、なんだかんだいって、やっぱり仲間だったんですね。
何よりまだ若かったので、死ぬなんて早すぎるだろ~と心の中で叫びましたが、
それだけに本人が どんなにか無念だっただろうとやりきれない気持ちになりました。

事故が起こったのが夜遅くだったので、
仕事の帰りだったのだろうと思いますが、
せめて、クレームやなんやかんやですっきりせずいらいら運転していたのではなく、
 一仕事終えてホッとして奥さんのことでも考えながら運転していたのだったらいいなあと思います。

そんなわけで、ここ2・3日、
人の命のはかなさとか、「悲しむ人がいるうちはまだ死ねーん!」など思いつつ、
気持ちは喪に服しておりました。
で、思い出したのは、
中島 らもさんの「愛をひっかけるための釘」というエッセイ。
昔職場の友人からおすすめで読んだことがあるのですが、
そこにとても印象的なことが書いてありました。
 というのは、
「自分が死んだ時、愛される存在であると残された人はいたたまれなくなってしまうと思うから、
お通夜に悪口で盛り上がるようなイヤなおっさんになりたいものである。」
というもの。
なんだか読んだ当時は妙に納得してしまったのですが、
残った人から「死んでよかった」と思われるには、相当嫌な奴にならないと
その領域には達せないですね。

そうして、だんだん、日常に戻ってきた私。
きっと、身内の方はまだまだ悲しみの中にいるのでしょう。

お葬式にいきたかったけど、
東京までこのおなかで行くのは難しい。
安らかに眠ってください。
ご冥福をお祈りしています。







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